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アドラー心理学では優劣をつける行為を明確に否定しています。
どうして?

すみません・・・何を言っているのか・・・まったくわかりません・・・

ふむ・・・

だって私たちはずっと競争して優劣をつけられて生きてきたんですよ?
それを否定するのですか?
学校では成績に順位がつけられ、スポーツでは勝敗があり、社会では業績で評価が得られる。
それをすべて否定するのですか?

違います。

何が違うんですか・・・

多くの人が勘違いしているのです。
成績の良し悪しで優劣をつけていませんか?
スポーツの勝敗で優劣をつけていませんか?
社会の業績で優劣をつけていませんか?
アドラー心理学はこの優劣をつける行為を明確に否定しているのです!

!!


ちょっとまってよ!そんなん頭お花畑なだけじゃん!
自分がそう思ったって、結局周りは優劣つけてくるんだよ!!

課題の分離を思い出してください。
「優劣つけるかどうか」は人それぞれの課題なのです。
自分が優劣をつけないのであれば、他人の言葉など関係ないのです。

うぐっ・・・

でも・・・どうして優劣をつけてはダメなのですか?

それは、敵を作ってしまうからです。
もっと踏み込んだ話をすると、優劣をつけたときに相手が自分より優秀な人間だと思った時、それを脅威とみなして敵にしてしまうからです。

ああ・・・

そして敵を作った結果どうなるか・・・前回あった他者信頼を達成できなくなってしまいます。

たしかに;;


せっかくなので、ドラクエで例えてみましょうか。
エンドボスの称号、ブログランキング あたりで。

ふむふむ

ではまず、エンドボスの称号から。
エンドボスを倒すことで称号がもらえますよね?
つまり、称号の有無がエンドボスを倒せたかどうかになります。
しかし称号の有無で優劣は決まりません。

えええ?!そんなことないよ!!
称号無かったら下手って思う人もいるし、実際野良では称号PTのみとかあるじゃない!!

それもまた課題の分離です。
他人がどう優劣つけようが関係ないのです。
自分が日々エンドボスに挑んでいることに意味があり称号の有無で優劣は決まらないと思えばいいのです。

野良は称号PT希望だらけなんだよ!!
称号無ければ組めなくなるだけじゃん!!

「対人関係のカードはわたしが握っている」ですよ。
称号が無いというカードをどう使うかはあなた次第です。
称号無くても組んでくれる人を探したりとかね。

そっか・・・


では次にブログランキングですね。
ブログランキングはバナーのぽちの数でランキングが決まりますよね。
厳密にはそうとは言い切れないけど、ランキング上位のブログは人気があるとします。

うんうん

人気としての順位はついていますが、そこに優劣はありません。
私はそう思い、そのうえでランキングを競っています。
私はランキングでそのブログの優劣が決まるとは思いません。
そして優劣をつけたい方はご自由にどうぞ。
それは私の課題では無いですからね。

そうだね!


ではここらへんで問題と行きましょうか。

!!

今回の「優劣をつけない」というお話ですが「アドラー心理学の明確な目標」のうち、最終的にはどこの目標を達成することになるでしょうか?
ヒントは、優劣をつけないことによる利点を考えてみてください。

「アドラー心理学の明確な目標」はこれでしたね♪
行動面の目標:
①自立すること。
②社会と調和して暮らせること。
心理面での目標:
①私には能力があるという意識。
②人々は私の仲間であるという意識。


アオイならできる・・・


うーん・・・選択肢は4つ・・・でも難しい

できましたでしょうか?
正解は「私には能力があるという意識」です。
競争して能力を高めれば、自分には能力があると実感できます。
しかし、ここで優劣をつけてしまうと「必ず」自分には能力が無いと感じてしまいます。
「私には能力があるという意識」は、優劣の無い自分だけが認める自分の能力を受け入れることです。
優れている、劣っているという話ではありません。
なにかが得意な人もいれば苦手なひともいます。
しかしそれもまた優劣は存在しません。
得意だから優れている、苦手だから劣っているではありません。
それに取り組む姿勢に優劣はなく、自身が認めるべき能力なのです。
それこそが「私には能力があるという意識」なのです。

そしてこの意識はやがて、「自己受容」へと成長していきます。
自己受容

ありのままに今の自分を受け入れるのです。
よく、自己肯定感を高めようといった話を聞きますが、それとは違います。
自己肯定感はいわばカラ元気です。
ありもしない自己肯定感を無理やり高めたところで必ずひずみが出て来ます。
それに対して自己受容は、ありのまま今の自分を受け入れる能力です。
物事に優劣がないと気づけたとき、やがてそれは自分は生きているだけで価値のある人間なんだと自身を受容できるようになります。

確かにそうだね・・・そうなんだけど・・・難しすぎるよ!!

難しいとは?

実践が難しいんだよ!
そんなの分かってても難しい。

たしかにそうですね。

?!

なぜ難しいか?それはまだ足りてないからです。
アドラー心理学の明確な目標のまだ説明していない最後の項目が

あと残っているのは・・・自立すること・・・ですか?


自立してるよ!!これでも親元離れてカスミさんとこで働いてそのお給料で暮らしているんだから。

そうですね、世間一般での自立となればアオイさんは立派に自立していると思います。

えへへ~立派~~♪

しかしアドラー心理学では意味合いが異なります。
自立できていない人というのは、「特権的な地位を得ようとする人」のことを指します。
わかりやすく言えば、承認欲求のある人のことを言います。

ちょっとおかしいじゃん!!
人は誰でも承認欲求はあるものでしょ!!

そうですよ、マズローの欲求5段階説でも承認欲求の存在は認められているではないですか!

そうなんですよね・・・ここは衝突が起きやすい部分ではあるのですが、アドラー心理学では「承認欲求を否定せよ」という言葉があります。
それぐらいアドラー心理学において承認欲求は到底受け入れられないものなのです。


どうしてなのですか・・・

「特権的な地位を得ようとする人」は自分は特別になろうとします。
その結果、問題行動を引き起こします。

あああ・・・こんがらがってきました・・・

そうですね・・・今は点と点が線で結ばれつつも複雑に絡み合ってる状態です。
もう少しでこの点は綺麗につながると思います。
そのために「特権的な地位を得ようとする人」についてお話をしましょう。
つづく
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コメント
私はよく、サポート仲間を雇う時、宝珠の有無で雇う人を決めているのですがこの行為は、優劣をつける行為、もしくは他人の課題に干渉する行為に入りますか?
それはならないので問題ないです。
例えばですが、そう思ってるのに宝珠のついていないフレに雇ってほしいと言われてしまい雇ってしまうといったのは相手に自分の課題を踏み込まれたということになります。