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前にメタバースでのバーチャルセックスについてお話しましたよね。
ありましたね・・・
ちょっと興味があったから気になってたよ。
実はですね。メタバースの技術が進化する事で、憧れのエル子ちゃんと結ばれバーチャルセックスを楽しむ未来が訪れるかもしれないんです。
えええっ?!
も、もちろんイケメンさんともだよね?!
はい。そうです。
いいい!いったいどういうこと?!詳しく!!
それではまず、メタバースに代表されるアプリについてお話しましょう。
すこしめんどくさそうですね。
ネットゲームで例えるなら、DQX、FF14、PSO2、APEXなど使い分けて楽しんでいる方もいると思います。イメージとしてはそんな感じです。
いろんなゲームのいろんなコンテンツ楽しみたいもんね♪
しかし、それによる不都合もでてきました。
たとえば、DQXとFF14を同一キャラで資産等を引き継いで行き来できたらいいな?とか思ったりしませんか?
ええ?!
そして、それを実現してくれるサービスが生まれました。
そ、それってもしかして?!
その名も!
THE SEED ONLINE
まって!カスミさん!現実とアニメごっちゃになってない?!
超人気アニメ「ソードアートオンライン」に登場するシステムじゃないですか!!
何考えてるんですか?!
いえ、現実に存在するのです。
?!
!!
このTHE SEED ONLINEの登場で、人はアバターによって新たな人格を作りやすくなります。
その心理がこちら。
プロテウス効果
近年発見された心理学の成果とも言えるでしょう。
つまり、アバターはその人そのものになるのです。
そんなことが起こるなんて!びっくりです!
おそらくこの先、様々なオンラインゲームにもTHE SEED ONLINE対応が求められる日も来ると思います。
ドラクエ10も?!
残念ながらドラクエ10はTHE SEED ONLINに対応する事はないでしょう。
対応する必要はなく、今後も運営が可能だからです。
残念だ~
しかし、THE SEED ONLINで自身のキャラクターに模したアバターを登録し(完全コピーは著作権的にはアウト)その状態でメタバースの世界に飛び込むことはできます。
そうする事で先程の『プロテウス効果』によってエル子ちゃんはエル子ちゃんらしくなります。
魅力的ではありますが、実現まですごく大変そうに思えるのですが?
はい。今現在これらの実現には10万円単位の資金が必要になってくると思います。しかし技術がすすめば、必要な資金も下がっていき気楽にできる日もそう遠くない未来の話だと思います。
だから未来の話なのですね。
ドラクエ10内で偶然出会った二人が、文字でしか愛し合えなかった。
そんな二人が、メタバースでアバターを通して愛し合う。なんだかステキだとおもいません?
ステキな気がしてきました。
そう考えると未来は明るいね!
今回は、心理学の話とあわせて新しい技術についてお話しました。
それでは、次回の講義でお会いしましょう。
おしまい
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コメント
ユング心理学の考えで、人間だれしもが持っているペルソナという仮面のようなものがあり、その状況に応じてその仮面(=人格)を人間は無意識に使い分けているそうですが、メタバースにおいても人はそのキャラクターによってペルソナを使い分けるのかなあと思いました。
コメントありがとうございます。
あああ・・・気づかれちゃった!!という気持ちです。
7月ごろにペルソナに関する記事とそれに対比する概念の記事を掲載する予定なので、楽しみにしてください。
記事を楽しみにしていてほしいのであまり細かくお返事できなくてすみません><
でも、当記事からペルソナを連想していただいたのはとてもうれしかったです。
今後とも当ブログの応援よろしくおねがいいたします。
スタンフォードの監獄実験(この実験自体は色々不備があるみたいですが)ですとか、ミルグラムの実験とかあるじゃないですか。
アバターの外見≒役割の獲得とみなせばその延長の様に思えますし、人って立場や環境に良くも悪くも左右されてしまうのでしょうね。
ただドラクエをプレイしていて思うのですが、その一方で良くも悪くも人間の本質は変わらない気もします。当たり前ですけれど、外見=アバターは自由に選べても、それこそ精神的なもの、メタ認知レベルですとか、寛容度、他者への配慮性、利他性などは個人の属性的な部分が強いと思うのですよね。
ドラクエの例で言えば、人格が作られているというよりは、あえてその人格を演じている、それこそロールプレイ、ゲーム感覚の方も多いような気もします。要するに無意識か意識的か、の違いですが。
極端な例えを出せば、一般的な小学生が大人のアバターを使って、多少大人っぽく振る舞えても経験の面から大人と同等に振る舞う事はまず無理でしょう。あくまで『「小学生にしては」大人っぽく』であって。
スタンフォードやミルグラムは極端な環境下の前提の話であって、普通に仮想世界でコミュする場合、プロテウス効果の範囲は実際は狭いというか、かなり限定的な気がするのですがどうでしょう?
例に出されていた異性になって恋をした、というのは、そもそもその方が大なり小なり本人が気が付いていなかったり無意識に抑圧されていただけで、両性愛の傾向や素養がある事が前提の様な気がするのですが。
と、いいますかそもそも気が付いていないだけで人間の殆どの人は実は両性愛である、という話もありますね。
新しい人格というと解離性、多重人格的な想像してしまうのですが、アバターにはそこまでの別人格性を付与する力はない、と思うのですがいかがでしょう?
コメントありがとうございます。
ほんとに身もふたもない話をしてしまえば、ひとによると言ってしまうところがあるのと、まだはっきりとわかっていないのと、その現象がおきると目立つのが大きいのではないかなと思ってます。
そんなもん記事にするなってツッコまれてしまいますが;;少し大げさに書いた方が記事としては面白く読みやすくなるところはあるので、わかってる人にはちょっとおおげさじゃない?って思われてしまいますはそこはどうかお許しください。もちろん嘘はだめです!
ドラクエでいえば、5種族がありますがそのイメージされたキャラが反映されやすいのではないかなと感じてはいます。ストーリーで5種族の性質はわかってもいるのでそういう所から来るのかなと。
そこがプロテウス効果の影響されるところかなと感じてます。プロテウス効果の範囲としては元型とその人の知識やイメージに限定されるのではと私も感じます。実際にここは実験とかやらないとはっきりしないところではありますけどね。
>新しい人格というと解離性、多重人格的な想像してしまうのですが
ここに関してでが、私もそこまでの力はないと思ってます。今後のテーマにするつもりだったのでだしおしみしたかったのですが「分人」がここに当てはまると目を付けてます。
アバターに関連する分人としての人格が形成されるのではないかと思ってます。 7月末に分人の記事を書く予定なのでその時に改めて読んでいただけたらと思っております。
前コメントの続き
自分は「理想化」の要素が強い気がするんですよね。
一番分かりやすい例えがエルおじで、ネタでされている方も多いと思うんですが、その一方で自分の理想をアバターにする事で、潜在的にある理想のヒーロー的なイメージや、恋愛対象者であるとか、性格をトレースしてしまうという。
恋愛の件も、「萌え」「推し」的なものに近い気がします。性的嗜好とは別に、女性が女性のアイドルを可愛いと思ったり、男性が男性俳優に憧れるというのはままあることですよね。それが仮想世界だとリアルより解放感があるので、ストレートにでやすいみたいな。
リアルでも、本気でアイドルのことを好きになる方もいますよね。その延長的な気もします。
アバターに影響されるのではなくて、元々潜在意識の理想があって、それに合わせてアバターを作成していく、という方が理にかなっている気がします。
つまり、ポジティブな投影な結果が、第三者的にはアバターを通じてプロテウス効果の様に映るだけであって、実際は本人はそこまで変わっていなくて、アバターを介しているので強調されてしまうというか、フォーカスされてしまうだけの様な気もするんですよね。
そうなると単純に「誇張化」されているだけ、とも捉える事も出来そうですし。
アバターに影響されているのではなく、アバターによってカリカチュア化されるといいますか。
カスミさんは「分化」されていると捉えられているのですね。自分は単純に元々存在していた内面が「増幅化」「肥大化」しているだけな気がしますがいかがでしょう。
お返事返せなくて大変申し訳ございません;v;
今次の記事の準備と明日のルムイベの準備に追われていてばたばたしております><
後回しでごめんなさい。
近日中にお返事いたしますので、もうしばらくお待ちいただけたらと思います。
返信は大丈夫ですよ。
単純に「新しい人格」という表現より「変身」という表現の方が妥当ではないか、というだけの話ですから。
例えば活動的な女性が着物を着たら所作が丁寧になった、これを「新しい人格」と捉えるか「新たな一面」と捉えるか。カスミさんが前者で自分が後者ですね。原理は同じだと思うのですよ。
多分カスミさんと自分は人格の定義が違うのだと思います。自分は解離性的なものを連想するので。
カスミさんはあえて大袈裟に表現されているそうですし、自分が調べた範囲では新しい人格といった表現をされている内容のものは見つけられませんでした。自分が知らないだけやも知れませんが。
ですので、新しい人格≒別人格という文脈かと思って気になったので、別人といえるのか?と思いコメントした次第です。
でもどうやら言葉の感性の違いみたいですね。
お待たせして申し訳ございません。
私も言葉の感性の違いなのかなとは感じてました。人格に関する定義が大きく違っていたのかなと。
わりと大雑把に人格という意味を捉えているので少し誤解をさせてしまった部分はあるかなと思います。
その「新たな一面」が「新たな人格」に含まれるって考え方です。
内面にあったものが表に出てくるのも、たとえ記憶等が共有されてても新たな人格として考えても良いのではないかなと考えてます。
私の個人的な感情論なとこもあるのですが、その方が気持ちとしては楽にはなるのではないかなと><(いやなことがあったら、そのときの人格のせいにして忘れちゃうとか)
英語で気にしないは”never mind “って言いますからねw
たぶん私がお聞きしたかった事の本質は「自分というものをどう定義するか」だったんですよね。
原核生物的なもの(核のない生物)と捉えるのか、アメーバのように変化はするけれど核(人格)は不変と捉えるのか。
カスミさんの仰っている事は自分の言語感覚だと人格ではなくて「性格」ですね。
性格を変えたい、とはよく聞きますが、人格を変えたいという言い方はあまりしないような気がします…つまり性格は幾らでも変えられるけれども、人格は根強い、という無意識の考えがあったのですれ違いましたね。
面倒な長文を読んで下さり有難うございます。
人間観の違い、言語感覚の違い、みたいな部分がちょっと面白かったです。