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最初にお話しさせてください。あくまで私の考えですが、嫌われる勇気で使われている承認要求という言葉は、ここでは適切ではなかったのかなと感じています。
えええ?!
本書のニュアンスはこんな感じです。
他人に期待され認められたいという欲求でそれらに応えるためだけの生き方をするべきではない。
しかし、それを承認欲求という言葉で表してしまったがためにそれが悪い方向へ独り歩きしてしまったから悪い意味として広まってしまったと考えています。
前提として、そもそもアドラー心理学では承認欲求を明確には否定していませんからね。
そうなのですね・・・
ここはよくアドラー心理学が誤解されるポイントでもあるから注意が必要ですね。
さて、承認欲求とどう付き合っていくかですが、その欲求のベクトルは自分に向けられているかどうかをしっかり確認してみてください。
といいますと?
自分自身でしっかりと認められているかどうかです。
ふむ・・・
前回のプレイヤーイベントとエンドボスについて例でまとめてみましょうか。
なんかこうみると・・・他人の評価そっちのけで自己満足に見えてくるんですが・・・
それでいいんです、大事なのは自分自身を認められるかどうかなんです。
承認欲求の承認は自分が自分に与えるものなのです。
そうすることで自分を認め満たされ、次もがんばろうというモチベーションと成長につながるのです。
もしこれが他人の評価に主軸をおいた承認欲求だったらどうなるとおもいますか?
うーん・・・認められるために努力する?
そうです!認められることが目的となってしまうのです。
?!
その結果安易に認められるためだけの近道をしてしまい、承認欲求モンスターとなり下がってしまうのです。
ああそんな・・・・
かといって、承認欲求そのものを否定してしまったらモチベーションも成長もないただのコンピューターみたいなつまらない人間になってしまう可能性もあります。
うう・・・たしかに。
まとめるとこうです。
なるほど~ 承認欲求は悪いものだとSNS等で言われているけど、必ずしもそうではないのですね。
そうですね、誰にだって承認欲求はあるとおもいます。
それを受け入れたうえで適切に付き合っていければいいと思います。
はい!
当ブログもスポンサー広告が一切ない時点で完全に承認欲求の塊です♪
でも私は自身の成長を感じながら適切に付き合っていきたいなと思ってます。
それでは、次回の講義でお会いしましょう♪
おしまい
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